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高齢者も安心して車が使える社会への提言 [乗り物]

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相次ぐ交通事故、高齢者は車の運転免許証を返納すべきなのか | ニュース3面鏡 | ダイヤモンド・オンライン

高齢者による交通事故は、被害者も加害者も悲惨だ。

加害者も一生後悔するだろうが、後悔したって残りの一生は短く、残された被害者は、その後の長い人生、苦悩の毎日を過ごすことになる。

ただ、高齢者から運転免許を取り上げるだけでは、問題は解決しないのも確か。
特に、公共交通機関がない田舎では、高齢者から車を取り上げたら、飢え死にしてしまいかねない。
地方自治体が、乗り合いバスなどを運営して、そうした問題に対策しているケースはあるが、それも、ある程度の人口密度があってできること。
これから、地方の過疎化がさらに進み、限界集落が増えれば、お金のない地方自治体は破たんしてしまうだろう。

それを解決するために、限界集落に住む人たちに、街の中心地に引っ越してもらうコンパクトシティも、一つの解決案として考えられているが、これも簡単ではない。

故郷で一人暮らしをしていた自分の母親に、一緒に住もうと、何度も提案したのだが、頑として拒絶された。
周りのお友達と離れたくないし、今の家から離れたくないというのだ。
結局、痴ほう症の症状が出始め、一人で暮らせなくなったのに嫌がる母親を、無理やり我が家に連れてきたが、結局、そこからは長くはなかった。
年を取ると、本当に、新しい環境はストレスでしかなく、自分の環境を変えたくなくなるみたいだった。

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高齢者専用の運転免許創設 安全機能付き車に限定  :日本経済新聞

なので、政府が、運転免許の返納を促すだけでなく、自動ブレーキなど安全機能がついた車種のみ運転できる、高齢ドライバー専用の新しい運転免許をつくる方針を打ち出したのは、絶対に必要な方向性だとは思う。

それによって、車がないと生活できないお年寄りでも、重大な事故を起こさずに運転をし、生活を続けられるのであれば、一つの選択肢になりえると思うからだ。

さらに、こうした新しい運転免許の先に、今後出てくる自動運転車限定で車に乗れる免許のような制度も、当然出てくるだろう。
そうなれば、もっと思い切った制度変更も考えられるはずだ。

自動運転の定義って?レベル0~5まで分かりやすく解説! | カーナリズム

ただ、現状実現できている自動運転機能のレベルはまだ低い。
自動運転の定義は、現状、レベル0~5が規定されていて、現状、実現されているのは、

・レベル3 「(高速道路など)特定の場所でシステムが全てを操作、緊急時はドライバーが操作」

までである。

次のレベル4 「(高速道路など)特定の場所でシステムが全てを操作」となると、例えば日本では、法律的に許されておらず、どのレベルの安全性能が担保されれば、レベル4の自動運転車が公道を走れるようになるのか、まだ決まっていない。
それは、技術的な問題というよりは、もし事故が起きた時に、だれがどのように責任を取るのかというスキームがまだ決まらないからだろうと思う。

そして、さらに酷いのが、レベル5「場所の限定なくシステムが全てを操作」というレベルの定義だ。

レベル4から、いきなり、どんな道でも、ドライバーはなにも気にせず自動運転で走れるという究極のスペックとなっていて、とてつもなく技術的障壁は高い。レベル5が100点満点だとすると、レベル4って、おそらく10点ぐらいの難易度でしかない。

本来は、一般道を自動運転するレベル5の中でも、緊急時はドライバーが操作するかどうか、とか、どの程度の緊急事態まで対応するのか、といった尺度で、さらに細かいレベル分けされるべきなのだが、誰もまだまともに考えられないからこそ、「レベル5」として大雑把に仮置きされているだけなのだと思う。

ただ、最初に書いた、地方の高齢者が安全に使える自動運転車を想定するなら、高速道路でしか自動運転ができない「レベル4」では全く意味がなく、一般道が走れる「レベル5」でないと意味がないだろう。

では、社会制度面でのバックアップを行うことで、高齢者向けに、いち早く自動運転車を社会に導入する道はないのだろうか?と考えてみた。

自動運転時代への気になる法整備、最新事情は? | clicccar.com(クリッカー)

実際、自動運転車導入に関する社会制度の議論は、あちこちでされていて、なかなか決着がついていない。実際難しい議論だと思う。

とはいえ、いつまでたっても「事故が起こった時、誰が責任を取るのか、大変そうだね」というレベルの思考停止で留まっていて、本当にいいのか?と思うのだ。

こうした議論が混乱する一つの要因に、「自動運転車を利用するユーザー」というものの想定が、正常に運転ができるが楽をしたくて自動運転を使う人間から、ほぼ運転が不可能で自動運転に頼らざるを得ない人間まで、あまりに幅広過ぎて、それらをすべて一気にカバーしようした議論を始めてしてしまうことにあると思う。

そして、それが、皆が納得するルールに落とし込めないと、何も始められないと思っているから、議論が進まないのではないだろうか?
しかし、それって本当だろうか?と思うのだ。

正常に運転ができるが、楽をしたくて自動運転を利用しているだけの人なら、それは、自動運転を使わないときと、同じルールでいいのではないか?

そこで議論が進まないことで、本当に困っている人たちの議論も止まってしまうのは、世の中的に、決していいことではないと思う。

そこで、自動運転車の早期導入が可能になる、社会的ルールというものを、私の妄想で考えてみた。

究極の目標は、

・自動運転車が、一般の人間でも購入できる価格で購入できること(軽自動車にも載るべレベル)。
・たとえ運転できない人でも、自動運転車ならは、購入できて、一人で乗りどこにでも行くことができること。
・万が一、事故が発生した時に、責任を取る対象が明確に判断できること。

そうした社会を作るにはどうしたらいいだろうか。

次回、試案を書いてみたい。

関連記事:
自動運転車を導入するための社会制度試案:トドのつまりは・・・ V2:So-netブログ
自動運転車は2020年に登場するのか?:トドのつまりは・・・ V2:So-netブログ





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